言葉の重みについて -「宣言する」ということ

SNSやブログに記した何気ない一言。
「次はこの資格試験に合格する」「このプロジェクトを必ず実現する」
そうした言葉たちは、発した瞬間から自身の背中を押し続けるものだと思います。

あるサイトで多数の資格取得をしている方が、印象深い言葉を残していました。
継続の秘訣は、自らのホームページで次の目標を宣言することにある」と。
一見、自らを追い込むような手法に思えますが、そこには深い洞察が潜んでいます。

「宣言した以上は、必ず成し遂げなければならない」
「結果を出せないようでは面目が立たない(恥ずかしい)」
という自負心。
これは、自身へのプライドがあってこそ成立する方策なのです。
そのプライドをうまく焚きつけて、次の目標へと突き進む原動力に変えていくのです。

一方で、一度目標を宣言しておきながら、いつの間にかこっそりと「無かったことにする」人もいます。
全力を尽くしても叶わなかった、それは誰しもが経験することでしょう。
しかし、初めから挑戦すらせず、いつの間にかその約束を闇に葬ってしまう。

確かに、些細な約束を反故にしたところで、誰かが咎めることはないかもしれません。
しかし、そのような時にこそ、心の奥底で最も負い目を感じているのは、他ならぬ自分自身なのです。
自己肯定感を育むことができるか、そうでないかの分かれ目がここにあると考えます。
最低限のプライドさえ持つことができなければ、何かに挑戦しようとする力も失われていく。

物事に全力で当たって失敗した場合と、その目標に向かわず途中で逃げてしまった場合。
この場合は後者こそが、自分自身への最大の背信行為なのではないでしょうか。

故に私は考えます。
まだ実現の見通しが立たないのであれば、その志は心に秘めておくべきではないか。
確かな手応えを得てから、その決意を言葉として世に問うべきではないか、と。

一つの約束を守るか破るか。
そこに、その人の信頼性の全てが表れると言っても過言ではありません。

小さな言葉の重みを、決して軽んじてはならないのです。

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